SPAへと転換を図る業態変革案を発表してからは、ターゲットをヤングからヤングキャリアにシフトする方針に打って出たのだ。だが、これが裏目に出た。狙っていたヤングキャリアの支持を得られなかっただけでなく、鈴屋を支えていたヤング層からも敬遠され、売上が激減。さらに、事業多角化の一環として手を広げた金融や不動産事業の悪化が業績悪化に追い討ちをかけた。その後、住友商事が経営をバックアップしていたが、結局、97年には住商も鈴屋から手を引き、和議申請に至る。鈴屋とほぼ同じパターンなのが、鈴屋と同時代に栄華を誇った三愛だ。同社も鈴屋同様、本業の不振に不動産事業の失敗が重なり、事業縮小を迫られた。看板業態だった「三愛」は新業態に転換され、三愛の名はいまや社名に残るだけだ。駅ビルやファッションビルの広がりとともに急成長した鈴屋と三愛は、時代の変化に対応できず、そのブランドイメージは新鮮さを失い、事業多角化にも失敗し、顧客の足は遠のいた。ファッションビジネスにおいて消費者の変化に敏感に対応し、新鮮さを保つことがいかにむずかしいかを、物語っている。